ある秋の日の午後、私は妻と2人で、あるドーナツ屋さんで並んでいました。
その日、そのドーナツ屋さんはかなり混んでいました。
その理由は、ドーナツ1個が100円ということと、カラフルなスケジュール帳がもらえるということでした。
私たちのすぐ後ろには、女の子2人とそのお父さんの3人連れが並んでいました。

女の子たちは、だいたい小学1年生と2年生くらいでした。
そして、その後ろには、その女の子たちより少し小さいくらいの男の子とお母さんがいました。
それともう1人、お母さんの友達かまたは姉妹と思われる女の人も一緒にいました。
その男の子は、だいたい幼稚園か保育園の年中くらいでした。

話の都合上、女の子たちの方をA父子、男の子の方をB母子とします。
A父子とB母子には、ほんの少し違いがありました。
まず、女の子の中のお姉さんの方が、パン挟みを持ってドーナツを挟んで取ろうとしました。
すると、お父さんが言いました。
「やめな。あんただと落とすから」
そして、お父さんがそのパン挟みを取って、聞きました。
「どれにする?」
その後は、女の子たちがドーナツを選んでお父さんがそれをパン挟みで挟んで取るという展開でした。
これは、ごくありふれたことなので、私はそのときは何も思わずぼんやり見ていただけでした。
その後、B母子の男の子が先ほどの女の子と同じことをしようとしました。
つまり、パン挟みでドーナツを挟んで取ろうとしたのです。
そのときのお母さんの対応が、先ほどのお父さんと全く対照的だったので、あっと思いました。
男の子はパン挟みで気に入ったドーナツを取ろうとしましたが、そのドーナツは横幅が広いためうまく挟めませんでした。
2,3度挟もうとしましたが、挟めません。
そこで、そのお母さんは別のパン挟みを使って、そのドーナツの向きを変えてやりました。
つまり、ドーナツを縦置きにしてやったのです。
それで、その男の子はなんとかドーナツを挟むことができました。
そして、とてもゆっくりと持ち上げました。
そのときのその子の顔は、真剣そのものでした。
口を半分開いて、目をまん丸に見開いて、手を慎重に動かしていました。
みごとにお盆に載せることができたとき、その男の子はにんまりと笑いました。
その後も、お母さんの手助けのもと、その子はいくつかのドーナツをお盆に載せました。
私はそれを見ていて、思いました。
その子にとって、ドーナツをパン挟みで挟んでお盆に載せること自体がとても楽しいことなのだと。
これはその子にとって、滅多にない、もしかしたら初めてのチャレンジだったのかも知れません。
その子は、そのチャレンジをとても楽しみました。
その子にとって、これはとても楽しい遊びのようなものだったのです。
手を動かせるようになった赤ちゃんが、いろいろな物を握ったりつかんだりして喜ぶのと同じです。
もう少し大きくなって、自分の力でガラガラを振って音を楽しむようになるのと同じです。
それらは、全て大人にとってはなんでもないことです。
でも、小さな子供たちにとっては新しい挑戦であり、純粋な喜びであり、楽しい遊びなのです。
そして、もともと、子供たちは、このようなチャレンジ精神に満ち満ちているのです。
私は、このような子供たちのチャレンジ精神を大切にしてやってほしいと思います。
それが子供を伸ばすコツだと思います。

子供にとって、しゃもじでご飯を盛るのは楽しい遊びです。
はたきでぱたぱた埃を取るのも、楽しい遊びです。

包丁でにんじんを切るのは、純粋な喜びです。
汚れた茶碗をきれいにするのも、純粋な喜びです。

自動販売機でジュースを買うのは、新しい挑戦です。
券売機で切符を買うのも、新しい挑戦です。

切符を自動改札機に入れて、出てきた切符を自分で取って出るのは、1つの冒険です。
家にかかってきた電話に出るのも、1つの冒険です。

もちろん、このようなとき、それが他の人の迷惑になるものであってはいけません。
このドーナツ屋さんでは、そのとき、レジまでの間にとても大勢の人が並んでいました。
ですから、小さな子がゆっくりドーナツを取っていても、何の問題もありませんでした。
それに、お母さんは、その子がたとえドーナツを途中で落としても大丈夫なように、お盆とお盆の間に隙間ができないようにしていました。

でも、子供がいくらやりたがっていても、周りに迷惑をかける場合はやってはいけないのです。
この辺の判断は、親が責任もってしなければなりません。

また、子供に何かチャレンジさせるときに、もう1つ気を付けるべきことは、安全性の問題です。
これについても、このドーナツを挟んで取るというチャレンジは、何の問題もありませんでした。

でも、例えば、包丁で何かを切るなどという場合は、かなりの危険を伴います。
このような場合、大人が安全面への最大の配慮をすることが当然必要になってきます。
また、子供だけでは絶対にやらないようという約束をさせておくことも必要です。

ときには、いくらやりたがっていても、能力的に無理だとか、機能的に不可能だとかいうものもあります。
そういう場合は、やらせてはいけないのです。
この辺の判断も、親が責任もってしなければなりません。
一生直らないようなけがをしてしまっては、元も子もありません。

このようなことを頭に入れた上で、子供たちにいろいろなチャレンジをさせてやって欲しいと思います。
というのも、子供が何かに興味を持ったまさにそのときが、子供を伸ばすチャンスのときだからです。
初めてしゃもじでご飯を盛ったとき、上手上手とほめてやれば、子供は喜び自信が付きます。
その後、食事の度にその子が盛ってくれるようになるかも知れません。
子供は飽きっぽいという特性も持っていますので、1度切りかも知れません。
でも、たとえ、そのときの1回で終わってしまっても、それはそれでいいのです。
自分はしゃもじでご飯を盛ることができた、という経験と自信は残ります。
そして、例えば、スポーツ少年団のみんなと旅館に泊まったときに、しゃもじでご飯を盛る係になるかも知れません。
または、学校の家庭科の調理実習のときに、班の子の茶碗にしゃもじでご飯を盛ってやるという機会があるかも知れません。
このような場面では、前に1度でもやったことがある子が活躍するのです。
なぜなら、1度もやったことがない子は、みんなの前で初めてやるなどという勇気はとても持てないからです。
もう、そのときは、しゃもじでご飯を茶碗に盛るというのは、楽しい遊びではないのです。
それは、仕事であったり勉強であったりするのです。

このような場面で、みんなのご飯を盛るのを避けたがる子がいるかも知れません。
もしかしたら、その子も、かつて、チャレンジ精神と遊び心でご飯を盛ろうとして大人に止められたことがあったかも知れません。
そういう子も、このような場面では、やらなければなりません。
そして、今回は、しつけや教育のためということでご飯を盛らされるというわけです。

この、ご飯を盛るということは、1つの例に過ぎません。
日常のありとあらゆる場面で、このようなことはいくらでもあるのです。
大人は、いつも、子供が興味を持ったときにはそれを押さえておいて、後になって同じことをやらせようとするのです。
それは、いつも大人の都合で決まります。
しつけとか教育のためというのも、大人の都合です。
子供がやってみたいと思ったときを大切にしていれば、改めてしつけや教育のためにやらなくても済むのです。

子供にとって、全てはもともと楽しい遊びです。
もっと言えば、人生の全ては、もともと楽しい遊びです。
それが仕事になる前に、子供に楽しませてやってください。
それが勉強になる前に、子供に楽しませてやってください。

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