私は、NHKの「クローズアップ現代」という番組が好きでよく見ています。
そして、特に興味を持ったものはパソコン日記にキーワードを書いておきます。
2005年3月31日放送の「ダイエー再建 最後の挑戦」も、とても興味深い内容でした。

その前の日の3月30日に、大手スーパーのダイエーは臨時の株主総会を開きました。
そして、産業再生機構とスポンサーの丸紅を加えた新しい体制で、再び再建をやり直すことに決めたのです。
再び再建をやり直すというのも変な話ですが、つまり、再建が全然うまくいっていなかったのです。
それまで、すでに2回に渡り合計で1兆円もの支援を受けても再建のめどが立っていなかったのです。
それで、最後の挑戦ということで、新しい体制で背水の陣で臨むことになったのです。
その具体的な取り組みの1つとして、ダイエーと産業再生機構の若手や中堅社員で「ダッシュ80」という名前の再建プロジェクトチームを作りました。

再建プロジェクトチームがまず取りかかったのは、ダイエーの本当の問題は何なのかを洗い出すことでした。
そのために新しい試みとして現場の店長への聞き取り調査を行うことにしたと、その番組で説明していました。
私は、その話を聞いて驚きました。
その3年前の2002年にはダイエーに対する債権放棄が議論されていたわけですから、その当時から経営は破綻していたのです。
ということは、3年間も再建再建と言いながら、現場の声の聞き取り調査すらやっていなかったのです。
これで、再建などできるはずがありません。
1兆円の支援を受けても再建のめどが立たなかったというのも、うなずける話です。
どこかの会議室に幹部が集まって、ああでもないこうでもないとやっていたのでしょう。
統計的な数字やグラフや資料を見ながら、原因と解決策を話し合っていたのでしょう。

でも、そのとき、現場の店員さんたちやはお客さんたちは、ダイエーの問題がどこにあるかよ~く知っていたのです。
例えば、ダイエーの野菜は新鮮でないということは、売り子さんやお客さんたちには常識でした。
ダイエーは一括仕入れ方式のために、地元の業者から新鮮な素材を集めることができなかったからです。
その理由も現場の人たちはとっくに知っていましたし、これじゃ困るねと言っていたのです。
でも、ダイエーの破綻が明らかになってから3年もの間、経営陣はその現場の声に耳を傾けることはなかったのです。

また、ダイエーは衣料品でも苦戦していました。
ダイエーの衣料品は自前主義なので、デザインやブランド力で専門店にはかなわないのです。
自前主義をやめて専門店をテナントとして入れていた他の大手スーパーに、客はどんどん流れていたのです。
この辺の事情も、現場の店員さんたちやお客さんたちはよく知っていました。
でも、経営陣だけは知らなかったのです。

この番組の1ヶ月半後の2005年4月15日に、再建プロジェクトチームが調査と再建案の最終報告を出しました。
そこには、この2つの問題点と再建案が指摘してありました。

簡単にまとめると、一括仕入れ方式を見直し地元業者からの仕入れを増やすことと、自前主義を改めて集客力の高いテナントを導入するということです。
3年前から現場では常識だったことが、再建プロジェクトチームの調査で初めて経営陣に伝わったのです。

ここまで、ダイエーの再建問題について書いてきました。
私は、今の教育改革の論議を見ていて、このダイエーの話を思い出さずにはいられません。
もう何年も何年も教育改革が叫ばれてきました。
その度に、文部官僚や有識者たちが議論を重ねてきました。
いろいろな考えの人たちが、それぞれ自分の考えを主張し合ってきました。
どこかの会議室に文部官僚や有識者が集まって、ああでもないこうでもないとやってきました。
統計的な数字やグラフや資料を見ながら、原因と解決策を話し合ってきました。
その度に、現場はああしろこうしろと言われてきました。
そして、2,3年経つとまた方針が変わり、別のことを言われてきました。
そして、いまだに教育改革が叫ばれ続けています。

でも、これまでただの一度として、現場にいる人たちの声に耳を傾けようとか、直接教育の現場を見てみようなどという話が出たことはありません。
教育の現場に、今どんな問題があるのか?
今、何がうまくいっていないのか?
そして、それは、なぜなのか?
その本当のところを知る努力が、まず、必要なはずです。
本気で教育改革を目指すなら、これは絶対に欠かせないはずです。
統計的な数字やグラフだけでは、本当のところは分からないのです。
テレビや新聞などの報道だけでは、本当のところは分からないのです。

では、その教育の現場にいる人たちとは、具体的には誰でしょうか?
親、教師、保育士、養護教諭、児童クラブの指導員、塾の先生、スポーツ少年団の指導者、診療内科医、臨床心理士、小児科医、カウンセラー、児童相談所職員、児童養護施設職員、などなどです。

このような、日々直接子どもに関わっている人たちは、ダイエーの店員さんやお客さんと一緒です。

3,4、6年の3人の小学生の子を持ち、仕事もしているA子さんの生活を見て、話を聞いてください。

急に会社から残業を命じられて仕事時間が伸び、やっと家に帰ったらほったらかしにされた子どもたちが大げんかをしていました。
けんかを止めて、夕食を作って子どもたちと一緒に食べて、お風呂に入れたら、もう寝かせる時間です。
ろくに話もしないで寝かせつけたころ、やっと父親が帰ってきました。
「あなたも、もう少し早く帰ってきてよ」と言ったけど、生返事しか返ってきませんでした。
これ以上言ってもけんかになるだけと思い、言いたい気持ちをぐっと飲み込みました。

児童クラブに申し込もうとしたら、申し込みが多く3年生以上は入れないと言われました。
1年生の子は入れるけど、キャンセル待ちの10番目と言われました。
民間施設に問い合わせたら、料金が高すぎてとてもじゃないけど無理と分かりました。
6年生の女の子が急に体が大きくなってきて、靴も洋服もどんどん買い換えなくてはなりません。
おまけに、4年の子が水泳を習いたいと言い出しました。
さらに、3年の子がスポーツ少年団に入りたいと言い出しました。
でも、スポーツ少年団に入れると、そこで親が求められる役割を果たせそうにありません。
いろいろと考えているうちに寝てしまい、気がついたら朝でした。
このA子さんに聞けば、今どんな問題があって何が必要なのかが少しは分かるはずです。

40人の2年生を1人で担任しているB先生の仕事を見て、話を聞いてください。
40人の中には、実にいろいろな子どもたちがいます。
そして、その後ろには子ども以上にいろいろな親たちがいます。
40人の中には、習ってもいない3桁+3桁の足し算ができる子もいれば、1桁の繰り上がりの足し算ができない子も2人います。
原稿用紙5枚くらいの作文をスラスラ書ける子もいれば、2,3行しか書けない子もいます。
ある月曜日の朝、登校渋りの子が、送ってきた母親の車からなかなか出ようとしませんでした。
30分も待って、やっと下りて来た子を伴って教室に行ったら、C君がD君をたたいて泣かせていました。
C君は、1時間目の休み時間にも友達をたたいて泣かせました。
C君は、家でいつも父親にたたかれているので、学校で友達をたたいてしまうのです。
授業中にいつも出歩く子が1人いて、奇声を発する子が1人います。
放課後相談に来た保護者と話していて、気が付いたらもう6時半です。
子どもたちのノートの赤ペンとテストの丸付けが、ぜんぜんできませんでした。
40冊のノートと40人分のテストを車に積んで、スーパーで買い物をして家に帰りました。
夕食を作って子どもと一緒に食べて、お風呂に入れて、寝かせました。
それから大急ぎで40冊のノートを見て赤ペンを入れるのに、2時間かかりました。
テストの丸付けをして、部分点をつけて、総合点をつけて、パソコンに入力するのにも2時間かかり、寝たのは1時半でした。
翌朝職員室でバッグからノートとテストを出していたら、校長に「ノートは持って帰ってもいいけど、テストは持って帰ってはいけない」と言われました。
「じゃあ、いつ丸付けをすればいいんですか?」と言いたい気持ちをぐっと飲み込んで「はい」と答えました。

このB先生に聞けば、今どんな問題があって何が必要なのかが少しは分かるはずです。

凡そ何かを改革しようとするとき、絶対に必要なのが現場を知ることです。
そのためには、現場に直接出向いて、その実態を見ることが不可欠なのです。
そのためには、現場の人たちの声に耳を傾けることが不可欠なのです。
これをしないで改革などできないのです。
教育改革においても、まったくその通りなのです。
でも、未だに、そういう話は全然出てきません。

名君と呼ばれる大名や将軍がお忍びで城下に出て、市井の人々の生活を見て回るシーンは時代劇でお馴染みです。
名君なら、家来や役人の話を聞くだけでは実態は分からないということを知っています。
テレビ番組「暴れん坊将軍」で有名な徳川吉宗も、江戸時代有数の名君の1人とされています。
吉宗はお忍びで市中を徘徊し、庶民の生活を見たり話を聞いたりします。
実際にどの程度やっていたのか定かではないようですが、庶民の生活を知ろうという努力をしていたのは確かです。
庶民の意見を政治に反映させるための目安箱の設置は、歴史上の事実として認められています。
江戸の町を大火から救うために作られた町火消し制度も、目安箱に入っていた庶民のアイデアがもとになっていたそうです。
そして、その町火消しのアイデアを実行に移せたのも、庶民の生活の実態を知っていたからです。

また、庶民の救済ための小石川養生所も、目安箱に入っていた庶民のアイデアがもとになっていたそうです。
そして、その小石川養生所のアイデアを実行に移せたのも、庶民の生活の実態を知っていたからです。

吉宗は、また、後に米将軍と呼ばれるほど米価格の安定化に努力しました。
これも、庶民の生活の実態を知っていて、米価格を安定させることが生活の安定に必要不
可欠だと分かっていたからです。
これによって吉宗の経済政策は、なんとかうまくいくようになったのです。

もちろん、吉宗の施策の目的は、幕府体制の維持発展のためだったかもしれません。
庶民救済も、その目的のための手段だったかもしれません。
でも、ここで大事なのは、吉宗は改革に必要なのは現場の実態を知ることだと分かっていたということです。

吉宗が将軍になる直前まで、新井白石という有名な学者が正徳の治という改革を行っていました。
でも、うまくいきませんでした。
白石は大変博識な学者であり、論争にも長けていました。
でも、理論に強くても現実の経済政策では失敗してデフレを招いてしまいました。
白石が庶民の生活の実態を知ろうと努力したという話は、全く伝わっていません。

その後、吉宗が将軍になったとき、幕府財政は破綻していました。
それを立て直した吉宗の享保の改革は、後世高い評価を得ました。

そして、吉宗の後には、松平定信の寛政の改革と水野忠邦の天保の改革がありました。
でも、いずれもたいした成果を上げていません。
水野忠邦に到っては、その改革で庶民に嫌われ、失脚したときは多数の江戸庶民に館を襲撃されています。

吉宗の享保の改革も、まったく手放しの大成功というわけではありません。
吉宗が、テレビの「暴れん坊将軍」のようなすばらしい人物であったかどうかも分かりません。
でも、吉宗の改革が、300年に渡る江戸時代のいくつかの改革の中で最も成功したものといわれていることは確かです。
そして、吉宗は、後世の人々から江戸幕府中興の祖といわれるようになりました。
その改革が成功した理由は、吉宗が現場を知ることの大切さを知っていて、それを実行したからです。
それこそが、他の改革との根本的な違いです。

改革とは、喩えて言えば手術と同じです。
医者は、患者の病状、つまり病気の実態をよくつかんでから手術に臨みます。
そして、手術中も、患者の状態には細心の注意を払い続けます。
それをしないで、手術などできるはずがありません。

凡そ何かを改革しようとするとき、絶対に必要なのが現場の実態を知ることです。
そのためには、現場に直接出向いて、その実態を見ることが不可欠なのです。
そのためには、現場の人たちの声に耳を傾けることが不可欠なのです。
これをしないで改革などできないのです。
これをしないで改革に成功することなど、あり得ないのです。
ものごとの道理として、あり得ないのです。
教育改革においても、まったくその通りなのです。
教育の現場を知らずに、文部官僚や有識者たちが自分たちの考えを主張し合っても意味はないのです。
まず理念ありき、まず方向性ありきという進め方では、改革はうまくいかないのです。
それは、患者の病状をよく知らないまま、手術方法について話し合うのと同じです。

どうか、自分たちの考えを主張し合う前に、現場の実態を知る努力をしてください。
「まず現場の実態を知ることから始めよう」という声を出してください。
何よりも、子どもたちのためにそうしてください。
私はそれを心から願っています。
でも、未だに、そういう声は全く聞こえてきません。