芸術の秋ということで、各地の美術館や博物館ではいろいろな特別展が開かれています。
学校で校内美術展を行う場合も、だいたいこの時期が多いようです。
私が若いころ勤めていたある学校では、各クラスの絵の中から、金賞2人、銀賞3人、銅賞4人というように入賞作品を決めていました。

そして、入賞した絵には、金銀銅の色紙を張り付けて掲示することになっていました。

ところが、これが大変なのです。
40人近い子の絵の中から、金銀銅を決めるのは本当に難しいことです。
というのも、基準が曖昧だからです。
算数なら数字で評価できます。
80点より90点の方がいいに決まっています。
でも、絵の評価はそういうわけにはいきません。

それでも選ばなければならないとき、基準になるのはなんでしょうか?
それは自分の感性です。
言い換えれば、自分の価値観です。

そして、学校における絵の評価にはもう1つの要素があります。
それは、指導上の観点です。
言い換えれば、指導上の必要性です。

たとえば、9人の入賞枠のうち8人が決まって後1人というとき、A君とB君の作品が甲乙付け難い作品だったとします。
A君は、このごろがんばっているのにいろいろなことで失敗が多くて、元気がなかったとします。
B君は、テストもいい点で50メートル走のタイムも一番だったとします。
こういう場合、A君を選んでやろうという気になるのが人情というものです。
そして、これが、指導上の観点とか指導上の必要性といわれるものでもあるのです。

このようなことをもとにしてなんとか選ぶわけですが、選んだ後もだんだん不安になってきます。
はたして、本当にこれでいいのか?
この絵よりあの絵を入れるべきではないか?
色塗りで失敗したけど、下描きの大胆さをもっと評価すべきではないか?
いつも投げ出してしまうあの子があれだけがんばって描いたのだから、入れてやるべきではないか?

このように悩み出すと、なかなか決められなくなってきます。
それで、他の先生の意見も聞こうと思って何人かに来てもらいます。
すると、中には、見た人みんながすばらしいと認める絵もあります。
でも、絵によっては意見が分かれるものもあります。
そういう絵については、いろいろな先生がいろいろなことを言い出します。

「この絵は思い切り伸び伸び描けていていいね。動きがあって生き生きしてるよ」
「う~ん、そうだけど、私は丁寧さがないのが気になりますね。こっちの方が誠実に作品を仕上げようとしていると思うけど・・・」

「この絵は下絵はいいんだけど、色塗りがあっさりしすぎていないかな?」
「そうですか?水彩画なんだからこれくらいでいいんじゃないの?」

「この絵は中心になる人物が大きく描けていて迫力があるね。入賞にしたら?」
「私は、これの方がいいな。たくさんの人物がいろいろな姿で描かれていて、絵の中にお話が感じられるから」

こういう感じになるのです。

これが、校内美術展ではなくもっと大きい美術展になると、さらにすごいことになるそうです。
私自身は経験がありませんが、知人が県レベルの美術展の審査会に出たことがあって、そのときの様子を教えてくれました。
審査に来るのは、各地区で図工教育をがんばっている教師たちです。
ですから、みんな、子どもの絵の指導や評価について自分の価値観をしっかり持っているわけです。
先程のようなやりとりが、もっと激しく、しかも理論を伴って行われることになります。
喧嘩腰になることもあるそうです。

子どもの絵の指導や評価については、大きく分けて2つの考え方があります。
1つは絵のできばえを重視する考え方で、作品主義といいます。
美的に優れている絵、きれいな絵、見栄えのする絵を高く評価します。
先生は、そういう絵になるように事細かに指導します。
どこに何をどう描くか、どこを何色にするかなど、いろいろと指示をします。

ですから、自由に描けないということで嫌がる子もいます。
「この次どうしたらいいですか?」などと、子どもから聞きに来ることも多くなります。
でも、できあがった絵は見栄えがするので、これで自信を持つ子もいます。
絵を描く技術も身に付いていきます。
でも、先生の個性が強く反映されるので、クラスの子の絵がみんな似てきてしまうという点もあります。

もう1つは子どもの制作活動そのものを重視する考え方で、活動主義といいます。
絵の出来不出来よりも、子どもがどれだけ楽しんで描いているか、どれだけ自分の思いを表現しているかを大事にします。
ですから、絵を選ぶときには、そういうことが感じ取れる絵を高く評価します。

この活動主義の場合、描いているときの先生の指示は、少なくなります。
その代わり、子どもとの対話が増えます。
例えば、「この犬は何してるの?」などと質問して、子どもの考えやイメージをふくらめてやるのです。
子どもは「この犬は自分も川を飛べるように足を鍛えているの」などと答えます。
それによって、それまで考えていなかったことも考えついたり、新しいイメージをふくらめたりするのです。

先生の指示が少ないので、子どもたちは思うままに自由に楽しく描くことができます。
それで、絵を描くのって楽しいなと感じることができるのです。
でも、そうやって描いた絵が必ずしも見栄えがするとは限りません。
多くの場合、見栄えという点では物足りなくなることも多いのです。

この場合、見栄えという点では物足りなくなることも多いのです。
でも、クラスの子の絵がどれもこれも個性的になるということはあります。

活動主義の場合、子どもが楽しんで描いたと思われる絵、その子の思いがたっぷり表れている絵を高く評価します。
絵を見ただけでそれが分かるのかと思う人もいるかも知れませんが、子どもの絵を真剣に指導してきた人には分かるのです。

ところで、どちらの指導でも、気を付けるべきことがあります。
作品主義で指導する場合は、やりすぎないようにすることが大切です。
というのも、子どもの作品をいいものしようと思いすぎると、何時間も何時間もかけて1つの作品に取り組ませることになりかねないからです。
子どもはもう描き終わったと思って満足しているのに、「隙間を全部塗りつぶしなさい」とか「ここにもっとたくさん動物を描くといいよ」などと指示して、延々と描き続けさせるということになりかねないのです。

特に、低学年の子の場合、いつまでも1つの絵を描き続けさせることは、苦痛以外の何ものでもありません。
見栄えのする素晴らしい絵ができあがったころ、子どもはすっかり絵が嫌いになっていたということはよくあることなのです。
実際に、作品主義の考えが強すぎる先生のクラスでは、子どもがみんな絵を嫌いになってしまうということが起こります。

幼稚園や保育園の子の絵を見ても、これが感じられることがあります。
幼稚園や保育園の子の絵は、短時間でぐいぐい描いてそれで終わりでいいのです。
でも、どう見ても7,8時間はかかっていると思われるような絵が、文化センターなどに飾られていることがあります。
とても幼稚園や保育園の子の絵とは思えないほど、見栄えのする完成度の高い作品がたくさん並んでいるのを目にします。
これを描いた子どもたちは絵が嫌いになったのではないかと、心配になってしまいます。
親たちも、その気になって見れば、やらせ過ぎかどうかは分かります。
ぜひ、そういうものを見抜く目を親たちにも持ってもらいたいと思います。

私は、先程、作品主義のいい点として「できあがった絵は見栄えがするので、これで自信を持つ子もいます」と書きました。
でも、やりすぎると逆効果になってしまうことを、指導する側は常に頭に入れておく必要があります。
主に先生たちのことですが、ときには親がこれをやりすぎてしまう場合もあります。
夏休みに描いた絵を募集する絵画コンクールとか、美術館や動物園が主催する絵画展などで、このような作品が見受けられます。
入賞をねらってか、親が作品主義に走りすぎてしまうことがあるのです。
中には、明らかに描かせすぎの絵もあって、心配になることもあります。

先生も親も、なんのために子どもに絵を描かせるのか考える必要があると思います。
それが自分のためになってしまってはいけないのです。
自分の指導力を誇示するために子どもたちにいい絵を描かせる、ということになってしまってはいけないのです。

反対に、活動主義で指導する場合にも、気をつけるべきことがあります。
一言で言えば、指導の放棄にならないようにするということです。
活動主義がいきすぎると、ただ描かせていればいいということになりかねません。
自由に描かせてさえいれば子どもは楽しいはずだ、そうすれば子どもは絵が好きになるはずだということになりかねません。

でも、それもまた違うと私は思います。
指導する側は、先に書いたように、うまく働きかけて子どもの考えやイメージをふくらめてやることが大切です。
また、それ以外にも、楽しく描けるテーマ選びや用具の工夫も大切です。
授業では、特にこれらが大切です。
というのも、クラスにはいろいろな子がいるからです。
つまり、放っておいてもどんどん描ける子もいる一方、なかなか描けない子もいるからです。
そういう子に「さあ、好きなように描いてごらん」と言っても、全く手が動かないということがあるのです。
そういう子でも、いいテーマがあるときは描けるということがあります。
また、用具のちょっとした工夫で、子どもがやる気になることもあります。
例えば、いつもはクレヨンで描かせているけど、今回は手に絵の具を付けて思い切り描かせてみようというようなことです。
これでぐんとやる気が出ることもあるのです。
また、子どもによっては、なかなか一人では描けないけど誰かと対話しながらイメージをふくらめれば描けるという子もいます。
ですから、活動主義の指導も、本当は手間がかかるのです。
個々の子どもに応じた一対一の個別対応が必要になるのです。
と言うのは簡単ですが、1クラス最大40人の子どもを相手にこれをやるのはかなり大変です。
実際にそのような指導を2時間やると、へとへとになります。
図工と音楽の授業ほど疲れるものはありません。

ここまで、作品主義と活動主義について詳しく書いてきました。
では、私は、どのように指導していたのでしょうか?
実は、私は、この両方のバランスをとっていました。
というのも、どちらの考え方にも、一理あるからです。
そして、どちらか一方に偏るべきではないと考えているからです。
もし、ずっと作品主義で指導されたら、子どもはどうなるでしょう?
自由に好きな絵を描く喜びを、味わうことができなくなってしまいます。
絵は誰かに描かせられるものという意識が強くなってしまいます。
これでは、絵を描くのが嫌いになってしまいます。
描き方を指示してもらえればうまく描けるけど、それがないと自信がないということになってしまうかもしれません。

反対に、ずっと活動主義で指導されたら、どうなるでしょう?
絵を描く技術という点では、たいした進歩がないかも知れません。
1,2年生くらいまでは、それでも楽しく描けます。
でも、3,4年生くらいからはそうはいきません。
その頃から、子どもが絵の出来不出来を気にし出すからです。
「うまく描けないから絵が嫌い」と思い始めるのが、その時期からなのです。
1,2年生までの楽しく描いていれば幸せという時期が終わり、うまく描きたいという気持ちが強くなってくるのです。
ですから、そういう気持ちに答える意味でも技術的な指導が必要になってくるのです。
5,6年生以降は、特にそれが必要になってきます。
その技術的な指導については、項を改めて書きたいと思います。
特に、家庭でできるものを中心的に取り上げたいと思います。

とにかく、ここでは、次のことを頭に入れておいてください。
・子どもの絵の指導については、作品主義と活動主義という2つの考え方があること
・どちらも極端にならないことが大事だということ
・その両方のバランスをとることが大事だということ
・高学年になるに連れて、技術的な指導も必要になってくること