「子どもにせよ大人にせよ、人を伸ばすにはほめることが大切です」
そう言うと、そんなことはもうみなさん耳にたこができるほど聞いたことがあるはずです。
でも、よく考えてみると、ほめるとはどういうことなのでしょうか?
ほめるとは、何をどうすることなのでしょうか?
そして、なぜ、ほめることは大切なのでしょうか?

それについて、私なりに考えてみたいと思います。

たとえば、相手を「がんばってるね」とほめたとします。
それは、つまり、「ありのままのあなたの努力で十分いいんだよ」と肯定することです。
同じように、「○○が上手だね」は、「ありのままのあなたの技術で十分いいんだよ」と肯定することです。

つまり、ほめるというのは、「ありのままのあなたの在り方でいいんだよ」と相手を肯定することなのです。

まず、このことを頭に入れていただいてから、少し違う話をします。

たとえば、あなたが仕事で嫌なことがあって、連れ合いに愚痴をこぼしたとします。
「ねえ、聞いてよ。うちの上司、やたらに仕事を人に押しつけるんだよ。ただでさえやることが多いのに、これ以上押しつけられたらたまらないよ」。

そのとき、連れ合いが「何言ってるの!仕事なんだからしょうがないでしょ。自分の工夫が足りないから仕事がたまるんじゃないの?」と否定的に答えたらどうでしょう?
あなたは、よけいに頭にきて、ますます仕事に対する意欲もエネルギーもなくなってしまうはずです。
そればかりでなく、相手に対する不信の感情がわいてくるはずです。

ところが、連れ合いが「そうだよね。まったく、仕事が多すぎてたいへんだよね。頭に来るよね」と肯定的に共感してくれたらどうでしょう?
あなたは、自分の気持ちをわかってもらえたことで安らかな気持ちになるはずです。
そして、「なんとかがんばろう」という意欲とエネルギーがわいてくるはずです。
そればかりでなく、相手に対する信頼の感情もわいてくるはずです。


話を元に戻します。
私は、まず初めに「ほめること」について書き、次に「共感すること」について書きました。
みなさんは、この2つがよく似ていると感じませんでしたか?
私は、この2つは「似ている」という以上に、「本質的には同じことなのだ」と考えています。

「がんばってるね」とほめることは、「ありのままのあなたの努力でいいんだよ」と肯定することです。
「○○が上手だね」とほめることは、「ありのままのあなたの技術でいいんだよ」と肯定することです。
「たいへんだよね」と共感することは、「ありのままのあなたの気持ちでいいんだよ」と肯定することです。
「頭に来るよね」と共感することは、「ありのままのあなたの気持ちでいいんだよ」と肯定することです。

「ほめること」は、「ありのままの在り方(実情)でいいんだよ」と肯定することで、「共感すること」は、「ありのままの気持ち(感情)でいいんだよ」と肯定することです。
この2つは、ともに、相手のありのままを受け入れ、認め、価値づけ、イエスと言うことです。
ですから、「ほめること」と「共感すること」は本質的に同じことなのです。

では、なぜ、「ほめること」と「共感すること」が大切なのでしょうか?
それは、こういうことです。

他者に自分のありのままを肯定されることで、人は自分自身を肯定できるようになります。
つまり、自己肯定感が育つのです。
すると、心がとても安らぎ、癒され、満たされ、穏やかで幸せな気持ちになります。

それによって、前に進む意欲とエネルギーが自然にわいてきます。
がんばれと励まされなくても、自分からがんばる気持ちになれるのです。
というのも、もともと人には向上心というものが内在しているからです。

そして、自分のありのままを肯定してくれた相手に対しては、当然のことながら信頼感を持てるようになります。
子どもの場合、それは親ということになります。
さらに、親に対して信頼感を持てた子は、その後のすべての人間関係を信頼感をもとにつくっていくことができます。
このように、自己肯定感と他者への信頼感が一緒に育つのです。

さらには、自分のありのままを肯定してくれた人に応えたいという気持ちも自然にわいてきます。
これもまた、前に進む意欲とエネルギーにつながります。

このようなわけで、「ほめること」と「共感すること」で、人を伸ばすことができるのです。

この辺の心の動き方は誤解されていることが多いと思います。
つまり、「ありのままでいいよ」と肯定すると、人は前に進まなくるのではないか、がんばらなくなるのではないか、という考え方です。

でも、私は、もともと人間には向上心というものが内在していると思います。
向上心がないように見える人も、本当はそれがあるのです。
ただ、それを発現できる意欲とエネルギーが足りないのです。

心の燃料タンクが、エネルギーどころか障害物でいっぱいなのです。
たとえば、自信のなさ、自己否定感、不安感、ストレス、イライラ、親への不信感、自分を取り巻く周囲一切への不信感、などです。

そして、これらは、次のようなことによって後天的につくられたものです。
日常的に叱られることが多い、「○○しなきゃダメでしょ」などの否定的な言い方をされている、ほめられることが少ない、共感どころかお説教や小言が多い、などなどです。

これらによって、心の燃料タンクは障害物でいっぱいです。
いくら向上心が内在していても、これらの後天的な障害物が足を引っ張ります。

自己否定感でいっぱいだと、人は前に進むことができません。
自分はダメだ、がんばれない、能力がない、こう思い込んでいる人がどうして前に進むことなどできるでしょう?
自己肯定感がある人だけが前に進めるのです。

ですから、自己肯定感を持てるようにしてやることが、まずもって大切です。
そうすれば、あとは自分で進めるのですから。
それさえあれば、励ましすら要らないくらいです。

励ましには、応援と要求という2つの側面があります。
自己肯定感があって意欲とエネルギーに溢れている人には、応援としてとらえられます。
もともとやる気があるからです。

でも、自己否定感でいっぱいで意欲もエネルギーもない人には、要求としてとらえられます。
「がんばれ」の一言が苦痛に感じられるのです。
自己否定的で傷つきやすい心には、「がんばれ」が「あなたはがんばっていない」という意味として届きます。

相手の状態によっては、「だいじょうぶだよ。できるよ」や「できてきたね」の方がいいですし、さらにいいのは「できてるよ」です。
または、「がんばれ」より「がんばってるね」です。
もっとハードルを低くして、「それでいいんだよ」「だいじょうぶだよ」だけの方がいい場合もあります。
必要なのは、励ましより肯定です。

このように、本人の心理状態によっては、否定したり攻撃したりするつもりなど全くないただの善意の励ましですら、するどい矢のようになるのです。
ましてや、「叱って伸ばす」というやり方には本当に大きなリスクがあります。
「そんなことでどうする!もっとしっかりしなさい」
こういう言い方には、大きなリスクがあるのです。

「私は叱って伸ばす主義だ」という人もいます。
自分の主義に従って、相手の心理状態を考えずに放つ言葉がどれだけ危険なものか!
このことを私たちはよく胸に刻んでおく必要があります。

繰り返しますが、ほめることは「ありのままでいいよ」と伝えることです。
ですから、ほめた後で「もっとこうして欲しい」とか「ほかにもこうして欲しい」などということを言うのは本来的に矛盾した行いです。

でも、多くの親は子どもにこれをやっています。
たとえば、「お手伝いがんばってるね。勉強もがんばってね」「漢字の勉強を一生懸命やってるね。計算ドリルもやってね」などと言ってしまいがちです。

この場合、親はほめているつもりでも、子どもの方はほめられた気がしないことが多いものです。
というのも、「ありのままでいいよ」のすぐ後で「もっと・・・。ほかにも・・・」と言われるからです。
子どもは、こういうことに敏感です。

そこで、私は、「ほめてから励ます」にも2種類あることを意識していることが大切だと思います。
その励ましが要求なのか応援なのかということで、2つに分かれるのです。
つまり、「ほめてから要求する」と「ほめてから応援する」の2種類です。

「本当に心からほめてくれている」と子どもが感じれば、応援として受け取られます。
また、露骨な言い方で、もっとやらせるためにほめているのが明らかな場合、子どもは要求と感じます。

でも、この違いが微妙になることもあります。
つまり、親は応援のつもりで言っても、子どもは要求と受け取ることもあるのです。
親は心からほめているつもりでも、先に書いたように、子どもの心理状態がよくなければ、つまり意欲とエネルギーがない状態なら要求として受け取られます。

ですから、次の2つのことが大事です。
まず、第一に、ほめるときは本当に心からほめることです。
そして、第二に、その後で励ますかどうかは相手の状態を見てから決めることです。

つまり、相手が励ましを要求でなく応援として受け取れる状態かどうか見極めることが大事なのです。
相手に意欲とエネルギーが十分ない状態なら、ほめるだけにとどめなければなりません。
それでないと、ほめた意味がなくなります。
それどころか、「もっとやらせるためにほめているのだから、自分はまだまだ足りないのだ」と感じてしまうこともあるのです。

相手の心理状態によってはこういう受け取り方をされることもあるのです。
私たちは、そのことに気づいている必要があります。

また、さらに言えば、次のようなこともあります。
先ほど、「相手に意欲とエネルギーが十分ない状態なら、ほめるだけにとどめなければなりません」と書きました。
でも、相手に意欲とエネルギーが全くない状態だと、ただほめるだけの言葉にすら拒否反応を示すこともあります。

「がんばってるね」と言われるのが苦痛という場合もあるのです。
なぜなら、本人は「自分はがんばっていない」と感じているからです。
そして、「がんばってるね」という言葉に「がんばることが大事だよ」というメッセージを感じ取ってしまうのです。
そういう場合は、もっとハードルを下げて、「いいんだよ」「それでいいんだよ」「だいじょうぶだよ」という言葉が必要になります。

「いいんだよ」「だいじょうぶだよ」などの言葉は、究極のほめ言葉です。
これらは、相手を丸ごと受け入れて共感し肯定する言葉です。
そこには条件も要求も一切ありません。
完全に無条件のものです。

完全に無条件なら、肯定できない相手はありません。
そういう肯定ができる人だけが、本当に人を救えるのです。

さて、ここまで、「ほめるとはどういうことか?なぜ、ほめることが大切なのか?」について考えてきました。
まとめると次のようになります。

ほめるのと共感するのは本質的に同じことで、それは、「ありのままのあなたでいいんだよ」と肯定することです。
それによって、相手は自己肯定感が持てるようになります。
自己肯定感がある人だけが、自分で前に進めるのです。

ただし、自分はほめたつもりでも、相手はそう受け取らないこともあります。
要求されたとか、努力が足りないと言われたなどと感じることもあります。
ですから、ほめるときは、相手の心理状態を考えながら言うことが大切です。

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