あるとき、テレビのニュースで、プロ・サッカー選手たちがリーグ戦最終試合の後でインタビューされている姿を見ました。

優勝したチームの選手たちは、「みなさんの応援でがんばってこれました」「支えてくれたみなさんに感謝したいです」「ここまで練習が思うようにできたのがよかったと思います」「あきらめずにがんばってきてよかったです」のような答えが多かったです。

下のリーグに降格になったチームの選手たちは、「結果がすべてですから」「がんばったつもりでも、結果が出ないとどうしようもない」「応援してくれたみなさんに申し訳ない」という答えが多かったです。

この2つを比べて気づいたことがあります。
前者は練習や努力の過程を大きく評価していますが、後者は結果がすべてだと言っているということです。

つまり、後者の場合、「練習をがんばったのに・・・」「努力したんですが・・・」などとは言わないわけです。
もしそう言えば、「自分に甘い」ということになるでしょう。
そこに、プロとしての自覚があると言えます。

このような答え方の傾向は、プロサッカーだけでなくほかのスポーツにおいても当てはまるようです。
また、プロだけでなくアマチュアにも当てはまるようです。
それらは、すべて、自分自身への厳しさの表れと言えます。

でも、それで、ちょっと困ることがあります。
それは、後者の言い方が曲解されると、結果にこだわり過ぎるひとが増える可能性があるということです。

なんとなくですが、私は、テレビで「結果がすべてです」という言い方をよく耳にするようになってから、結果にこだわる人が増えたような気がします。
こう感じているのは、私だけでしょうか?

もちろん、自分自身に対する厳しさとして、「結果がすべて」と言うのはいいのです。
それは、結果について言い訳したりひとのせいにしたりしないで、責任を自分で引き受け、これからさらに努力していくという決意の表明だからです。
そして、そういうひとだけがさらに成長していくことができるのですから。

でも、その言葉が自分以外の他者に向けられるのは問題です。
それは他者の事情や努力の過程をくみ取ることなく、結果だけを見てすべてを否定することです。
これでは、うまくいっていないひとや伸び悩んでいるひとを助けることはできません。

同じ言葉でも、誰が誰に言うかで意味はまったく違ってきます。
これを自分に言うなら自分を伸ばすことになります。
でも、他者に言っても、そのひとのためにならないことが多いと思います。
もしかしたら、こういう言葉を聞いてかえって発憤するひともいるかも知れませんが、極めて少ないと思います。

とくに、私が心配なのは、子どもにかかわる大人の中でこういう考えが増えることです。
勉強でもスポーツでも習い事でも、指導している大人がこういう考えだと、本当に子どもを伸ばすことはできません。

子どもの素質や能力は大人以上に千差万別です。
さらに、子どもには、発達段階や成長度合いの違いというものがあります。
それは、知的能力、身体能力、精神年齢など、すべてにおいて存在します。

これは大人が思う以上に大きな違いです。
ですから、子どもというものはたとえ年齢が同じでも一律には扱えないのです。

これは子ども特有の問題であり、当然、大人にはなくて子どもだけにあるものです。
ですから、大人はうっかり見落としてしまいがちです。
でも、子どもを指導する上で絶対必要な配慮事項なのです。

こういうわけで、大人が何人かの子どもたちに同じような指導をしても出てくる結果はまったく違ってきます。
たとえ同じ年齢の子に同じ指導をしても、結果はまったく違うのです。
そうならざるを得ないし、それが当たり前なのです。

そのとき、大人が「結果がすべて」「勝ち負けや数字がすべて」という考えでいると、いい結果を出せなかった子はとてもつらくなります。
それは、子どもに自己肯定感をなくさせ、伸びる芽を摘むことにつながります。

ですから、子どもにかかわる大人たちは「結果がすべて」と考えないことが大切です。
結果や到達点だけに目を向けるのではなく、それぞれの子どもの努力の過程をほめることが大切です。

つまり、次のような言葉が大切なのです。
「がんばったね」「一生懸命やってえらかったよ」「がんばってるのを見てうれしかったよ」「おまえはがんばりやだな」「結果はともかく、がんばったんだからいいんだよ」「最後まで諦めずにやったから立派だよ。それが次につながるよ」

こう言ってもらえれば、子どもは「またがんばろう」という気持ちになれます。
そして、このような言葉によって、子どもは、たとえ結果がよくなくても自己肯定感を持つことができます。
この自己肯定感は、子どもが健やかに成長していくためにこの上なく大切なものです。

ところで、私は、実際に子どもの柔道の試合で心配な場面を見たことがあります。
試合に負けた子どもが涙ぐんでいると、コーチが「結果を出さなきゃ意味がない」と言いました。
みなさんも、似たような場面を見たり、または実際に自分が言ってしまったりしたことがあるのではないでしょうか?

私は、親、学校の先生、塾の先生、習い事の先生、スポーツ少年団の指導者など、いろいろな立場で子どもとかかわるひとには十分気をつけてもらいたいと思います。

みんな、それぞれの立場でいろいろな工夫をして子どもに働きかけます。
でも、結果を出すのは子どもです。

つまり、子育てや教育においては、大人がいくらがんばったとしても結果を出すのは大人ではなく子どもです。
結果は大人の手の中にはないのです。

それにもかかわらず、大人が結果を求めてしまうと、子どもに大きなムリを強制することになります。

そもそも、大人は誰のためにそれをやっているのでしょう?
もともと子どものためのはずです。
でも、いつのまにか大人自身のためになってしまっていることがよくあります。
子どもが、大人の自己実現の道具になってしまっているのです。

教えている子どもたちのテストの点が上がれば、先生は力のある先生ということになります。
教えているチームが優勝すれば、監督は優秀な監督ということになります。
わが子がいい学校に入れば、親は鼻高々です。

こういう例が非常に多いので、私は心配しているのです。
というより、これがないことのほうがめずらしいと言ってもいいくらいです。
もっとはっきり言えば、まったくないということはないはずです。

みんな人間ですからね。
私も教師時代そうでしたから、よくわかります。

でも、それは決していいことではありません。
ですから、そのことを、自分で自覚していることが大切です。
自覚していれば自分でブレーキをかけられます。

子どもが大人の自己実現の手段になっていませんか?
私たち、大人は、つねにこう自問することが必要だと思います。

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