「ほめることが大切」とは言っても、どんなほめ方でもいいというわけではありません。
まずいほめ方では効果がないばかりか、ときには逆効果になることもあります。
では、それを具体的に見ていきましょう。

1,口先だけでほめる
たとえば、夕飯の仕度で忙しいときに、子どもが近寄ってきて「今日学校で3回も発表したんだよ」と言ったとします。
こういうときは、子どもの方をちらっと見ただけで、あるいはまったく見ないで、「すごいね。がんばったね」などと口先だけでほめてしまいがちです。

でも、これでは、子どもはほめられた気がしません。
それどころか、こういうことが度重なれば、「ぼくのことは、あまり関心がないんだ」と感じるようになってしまいます。

やはり、こういうときは、一度手を止めて、子どもの目の高さまでしゃがんで、子どもの目を見てほめてあげてください。
しかも、心を込めて感情を込めてほめてあげてください。
頭をなでたり抱きしめたりのスキンシップもいいでしょう。
これだけするのに、30秒もかかりませんから。

子どもは、親にこれを言おうと道すがらわくわくしていたのかも知れません。
子どもが自分で親に言ってきたときは、とても大切な瞬間です。
というのも、それについて子どもの気持ちが一番高まっているときだからです。
そのときを逃さないで、心を込めて感情を込めてほめることが大切です。

そして、心を込めるというのは、感情を込めるということでもあります。
「注意するときは冷静に、ほめるときは感情的に」と覚えておいてください。
その逆の「注意するときは感情的で、ほめるときは冷静」というのでは、子どもはかわいそう過ぎます。

2,タイミングのはずれたほめ方

いい表れがあったときは、すぐほめることが大切です。
子どもががんばったとき、うまくできたとき、ほめて欲しいと思っているとき、そのときを逃さずにほめることが大切なのです。

というのも、そのときは、それが子どもの最大関心事だからです。
最大関心事がほめられれば、喜びも最大になります。

何時間も経つと、あるいは何日も経つと、それは子どもの最大関心事ではなくなってしまいます。
そこでほめられても、最大の喜びにはならないのです。

そのときは、ほかのことに関心がいっているので、親がほめていることについて子ども自身が思い出すのに時間がかかることすらあります。

たとえ思い出したとしても、心の半分はほかのところにいっています。
たとえ思い出したとしても、そのときの自分の達成感や満足感や熱い気持ちがそっくり戻ってくることはありません。
そこでほめられても、今ひとつピンと来ないのです。

いい絵が描けたら、すぐほめてあげてください。
子どもが宿題の日記を書いたら、できるだけ早く見てほめてあげてください。

お手伝いをがんばったとき、自分で食器を洗ったとき、テストで百点を取ったとき、ピアノの練習をがんばったとき、縄跳びの綾飛びができるようになったとき、どんな場合もタイミングを外さないことが大切です。

とくに、1でも書いたように、子どもが「ほめて欲しいオーラ」を出しているときは、すぐにほめてあげてください。
大人の都合で後回しにしないで、子どものニーズに応えて心を満たしてあげてください。

3,ワンパターンで浅いほめ方

いつもいつもワンパターンなほめ方では、ほめられる方もうれしさが目減りしてきます。
「すごいね。さすがだね」が口癖になっているひとは、「たいしたもんだ!びっくりしたよ」とか「見事だね~。ふつう、なかなかできないよ」などと、変化をつけると新鮮さが増します。

でも、本当は、変化をつけようと思わなくても、そのときどきの子どもの行動やがんばるところなどをしっかり見ていて、ほめるべきところを的確に見抜いてほめるようにしていれば、自ずからそれにふさわしい言葉が出てくるのです。
そして、それは、当然ながら状況によって違った言葉になってくるのです。

いつもワンパターンなほめ言葉しか出ないのは、本当にはよく見ていないし本当には感心していないということなのです。

私にも経験があります。
それは、図工を教えていたときのことです。
絵がとても上手な子に、「うまいね~」と何度も言ったのですがあまり喜んでくれませんでした。

それで、その子のこだわりのポイントを見抜いて、「この手や腕の立体感や丸みがよく出ているね。肌の明るいところから暗いところまで少しずつ色を変えたからだね」とほめました。
そうしたら、その子はうれしそうににんまりと笑ってくれました。

相手の行動やがんばるところをよく見ていると、そのこだわりのポイント、つまり思い入れの強いポイントがわかります。
そこをほめれば、本当に喜んでくれます。
そして、それは、当然ワンパターンなほめ言葉の正反対にある、一期一会で深みのあるほめ言葉になるのです。

4,「やればできるじゃない」「見直したよ」という上から目線のほめ方

ほめるとき、「お~、すごいね。やればできるじゃない」という言い方をするひともけっこういます。
中には、「お~、すごいね。見直したよ」という言い方をするひともいます。

もちろん、ほめるつもりで言っているのですが、言われる方には微妙な後味が残ります。
「やればできる」ということは、「あなたはいつもやっていない」「いつものあなたはがんばっていない」という意味だからです。
そして、「見直したよ」ということは、「いままでたいしたことないと思っていた」という意味だからです。

みなさんは、なにか達成したりがんばったりしたとき、誰かに「やればできるじゃない」とか「見直したよ」などと言われたらうれしいですか?
うれしいような、ちょっと引っかかるような、複雑な気持ちがするのではないでしょうか。

子どもも同じように感じているのです。
ですから、これらはいいほめ方とは言えません。

もちろん、理屈で考えるなら、「いつもできないことができたのだから、これが的確な表現なのだ」と言えるかも知れません。
でも、理屈より相手の気持ちの方が大切です。

ほめるときは、余分なことは言わないで素直にほめることが大切です。
上から目線の「やればできるじゃない」「見直したよ」などの言い方ではなく、素直に驚いたり一緒に喜んだりしてあげてください。

5,気分任せのほめ方

親の中には、子どもが同じ失敗をしても、自分の機嫌がいいときは見逃し、機嫌が悪いときはきつくとがめるひとがいます。
そういうひとは、ほめるときも気分任せになりがちです。
子どもの何らかのよい表れに対して、自分の機嫌がいいときは大いにほめるけど、機嫌が悪いときは無視するということになりがちなのです。

さらにひどい場合は、本来はほめるべきところで、逆に叱ってしまうということも起こります。
たとえば、子どもは一生懸命ピアノの練習をしているのに、親は別のことでイライラしていて「うるさい。なんでこんな時間に練習するの!」などと言ってしまうこともあります。

これでは、子どもはかわいそう過ぎます。
とがめるにしろほめるにしろ、このような気分任せの対応を続けていると、子どもは親の顔色を見て行動を決めるようになります。
それでは、子どもは正しい価値観や判断の基準を持つことができなくなってしまいます。

また、とくに気分任せのひとでなくても、次のようなことは起こり得るのではないでしょうか?

たとえば、あなたが職場の人間関係でストレスを抱えて家に帰り、夜の8時から団地の会合に出なくてはならないという事情を抱えつつ、時間に追われながら夕食の仕度をしているとします。
そして、カット野菜の袋を開けようとして力を入れすぎ、袋が破れて野菜が半分ほど床の上にこぼれてしまったとします。
そのとき、子どもが学校で描いた絵をいそいそと見せに来たとします。

そういうとき、つい「後にしなさい。お母さん、忙しいのが見えないの!」と言ってしまう・・・。
さらに、少し気がとがめながらも自分を正当化するために、「あなたたちのために作ってるのよ。自分の都合ばかり考えないで!」などと言ってしまう・・・。

「これは自分のことだ」と思うひともいるのではないでしょうか?
こういうとき、いたずらにイライラしていた自分の愚かさを笑いつつ、子どもに笑顔で対応できるようになりたいものです。

または、せめて、「ごめんね。今、お母さん、焦ってイライラしてるから後にしてね。後でゆっくり見せて。ごめん、ごめん」と言えるようになりたいものです。
なんの罪もない子どもに自分のストレスをぶつけるよりも、この方がはるかに立派です。

6,比較してほめる

だれかと比較してほめるのは、やめるべきです。
とくに、親が兄弟姉妹を比べてほめるのは百害あって一利なしです。
たとえば、次のようなことです。
「お兄ちゃんはだらしがないけど、あなたはしっかりしているね」
「妹の○○はまったくしょうがない。あなたはがんばってるね」
「お姉ちゃんはやる気がなくて困ったもんだ。お前が希望の星だよ」
「弟も、あなたみたいにがんばってくれるといいんだけどね」

このようにほめられると、ほめられた子は相手の子をばかにするようになります。

もちろん、この反対の、比べて叱るのも百害あって一利なしです。
たとえば、「なんで、あなたはだらしがないの!妹を見習いなさい」などです。
このように叱られると、叱られた子は相手の子を恨むようになります。

「自分は、このようなほめ方や叱り方はしない」というひとにも、気をつけて欲しいことがあります。
それは、子どもに直接は言わなくても、他人には言ってしまうことがあるということです。

私は、家庭訪問のときに何回も聞きました。
ある女の子の家では、お母さんが開口一番「お兄ちゃんはだらしがないんですが、妹はしっかりしているんですよ」と言いました。
私は、ふすまの向こうで子どもが聞いているのではないか、と心配でした。

子どもに直接言わなくても、他人に言っているのが子どもに聞こえれば同じです。
同じどころか、信憑性という点でさらに大きく感じられるはずです。

たとえ子どもが聞いていないとしても、そもそも常日頃からこういう見方で見ていること自体が問題です。

というのも、親が「この子は伸びる」と思っていれば子どもは伸びますし、親が「この子はダメだ」と思っていれば子どもはそうなるからです。
親の思い込みは、言葉のかけ方、態度、目つきなどに表れますし、その積み重ねが大きい影響を与えることになるのです。

ですから、そもそも自分自身の中で、子どもを比べないことが大切です。

どの子も、みんな、ユニークで掛け替えのないオリジナリルな存在なのです。
もし、そういう見方ができないとしたら、それは親が自分の価値観という色眼鏡で見ているからです。
自分の価値観、自分の物差し、自分の見る角度、これらを絶対化していることに自分で気づかない、ただそれだけのことなのです。

一度自分の価値観を疑ってみて、別の物差しで測ったり、いろいろな角度から子どもを見たりすることが必要です。

7,兄弟姉妹の間で不公平に感じられるほめ方

兄弟姉妹と比べて叱られたり、あるいは比べてほめられたりということでなくても、子どもが不公平を感じることがあります。

それは、ほめられる回数や度合いについてです。
回数というのは、たとえば、お兄ちゃんが5回ほめられる間に弟は1回という場合です。
度合いというのは、たとえば、妹については親が大喜びでものすごくほめたけど、お姉ちゃんについては普通にちょっとほめただけという場合です。

いくら相手と比べられたわけでなくても、回数や度合いが大きく違えば、子どもは不公平に感じてしまうものです。
ですから、親は回数や度合いを意識してバランスを取る必要があります。

ほめられ上手といいますか、ほめやすい子といいますか、実際そういう子はいますし、そうでない子もいます。
ですから、親が自然に任せているだけだと、ほめ方に偏りが出てくる可能性は極めて高いのです。

そして、そういう偏りについて、親は気づきませんし、よくほめられる子も気づきません。
でも、あまりほめられない子は必ず気づきます。
そして、気づいていてもなかなか親には言わないことも多いのです。
なぜなら、ほめられ上手でない子は、そういうアピールも上手でないことが多いからです。

というわけで、親はほめる回数や度合いについて意識している必要があります。
そして、バランスを取るために、回数や度合いが少ない子については目を皿のようにしてほめる材料を探すことが必要です。

また、1人の子をものすごくほめたいときには、ほかの子がいないところでほめた方がいい場合もあります。
もちろん、ほかの子がいるところでほめた方がいい場合もあります。
この辺は、親がケース・バイ・ケースで判断することが大切です。

8,お金や物でほめる

がんばったご褒美という形で、安易に子どもにお金や物をあげるのは禁物です。
うっかりこれをやった結果、次から子どもが要求するようになったというのはよくある話です。

そこで子どもを叱るひともいますが、もともと親が教えたのですから、叱る資格はないのです。
でも、親はそのことは忘れて子どもを叱ります。

中には、「自分から勉強したら10円」「テストで100点を取ったら100円」「お手伝いをやったら50円」などと、なんでもかんでもお金で釣るひともいます。
でも、こういやり方は、子どもの価値観をゆがめる危険性が高いのです。

子どもには、勉強自体の楽しさや、努力して成績を上げること自体の喜びを味わわせてあげることが大切なのです。
そして、自分の仕事(お手伝い)を続けること自体の楽しさや、家族のために役立つこと自体の喜びを味わわせてあげることが大切なのです。
遠回りのようでも、それが本来的で筋の通った道です。

子どもをいつもお金や物で釣っていると、なんでもお金や物を得るためにやるという価値観になりかねません。
それは、目の前にお金や物の見返りがぶら下がっていないとやらない、ということにつながります。

お金や物で釣るのは手っ取り早い効果がありそうなので、親はついやってしまいがちです。
でも、目先の効果に引かれて筋の違う教え方をすると、子どもの価値観をゆがめます。

筋が違う教え方という点では、「○○するとお父さんに叱られるよ」「○○だと先生に叱られるよ」などの教え方も同じです。
これも手っ取り早い効果があるので、よく言ってしまう親もいます。
でも、これだと、子どもの中に「叱られなければやってもいい」「見つからなければやってもいい」という価値観を育てることになります。

もちろん、私は、人生においてお金や物を行動の判断基準にすることをまったく否定するわけではありません。
また、「叱られるからやらない」という価値観についても、これをまったく否定するわけではありません。

私たちは、人生においていろいろな判断をするとき、ものごとを多面的かつ総合的に考えて判断します。
自分のためになるか、ひとのためになるか、労力はどれくらいか、利益はどれくらいか、ひとからどう思われるかなど、いろいろな要素を総合的に考えます。

ひとによって、第一義的に大切な基準になるのが利他の精神だったりお金だったり人の評価だったりします。
同じひとでも、時と場合によってその優先順位が入れ替わることもあります。

でも、中には、いついかなるときもお金が最優先という価値観のひともいます。
私は、こういう価値観を肯定できません。

いつも子どもをお金や物で釣っていると、こういう価値観を刷り込むことになります。
私たちは、人生の初期にいる子どもを相手にするとき慎重でなければなりません。
というのも、子どもは価値観の上で無抵抗だからです。
このとき刷り込まれた価値観が、一生を左右することになるのです。

このようなわけで、子どもが洗濯物をたたんでくれたとき、お金をあげるのではなく、「ありがとう。本当に助かるよ」と心から言ってあげてください。

9,子どもをコントロールするためにほめる

あるお母さんは、小学校に入学した息子に勉強をがんばらせたくて、よく次のように言ったそうです。
「パパは子どものころからテストは100点ばかりだったんだって。そんなパパの子だから、あなたもいつもテストが100点なんだね。さすがだね」

その結果、子どもはやたら100点にこだわるようになってしまい、2年生のあるとき90点のテストを100点に改ざんしてしまったそうです。
それで、お母さんも「これはまずい」と気がついてそういうほめ方をやめたのですが、しばらくは尾を引いたそうです。

また、ある女の子は、小さいころからずっと親に「○○ちゃんは、わがままを言わなくて素直でいい子だね」と言われて育ったそうです。
親が望んだ習い事や通信教材もがんばり、宿題も家のお手伝いもなんでもがんばりました。
親の望むことに対しては、ぐずったりイヤと言ったりしたことはなかったそうです。
言いたいことがあっても、自分の気持ちを抑え続けて育ちました。

その結果、小学校5年生のある日、なにもかもイヤになってしまい、すべてを投げ出してしまいました。
そして、登校拒否と自室への引きこもりが始まり、親に対しても完全な拒否状態になってしまいました。

このようなほめ方は本当に危険です。
これらは、親に都合のいいように子どもをコントロールするためにほめているのです。

これらは、子どもへの強い要求が見え見えで、「それができたらほめてあげる。言うことをきいたらほめてあげる」と言っているようなものです。
いわば、条件つきのほめ方といってもいいでしょう。

こういうほめ方をしていると、どうなるでしょう?
子どもは、ほめられるために、もっと言えば生き延びるために、自分の本当の気持ちを抑えて必要以上にがんばらなければならなくなります。

10.共感とセットになっていないほめ方

子どもがほめられる状態のときは、ほめやすいものです。
たとえば、いい結果を出したとき、がんばっているとき、素直に言うことを聞いてくれるときなどです。

では、みなさんは、子どもがほめられない状態になっているときどうしますか?
たとえば、いい結果が出なかったとき、がんばっていないとき、素直に言うことを聞いてくれないときなどです。

そのとき、まず一番大切なのは、子どもを理解し受け入れ許し共感してあげることです。
子どもは、がっかりしているとき元気が出ないとき辛いときなどに、親が共感してくれれば本当にうれしいものです。

そのとき、まず一番に叱責や小言やアドバイスがきてしまうひとはいませんか?
これだと、子どもはよけい辛くなるだけです。

たとえば、子どもがそろばんの3級の試験に合格したら、ほめますね。
では、不合格のときはどうしますか?
まず叱責や小言やアドバイスがきますか?
それとも、まずは、子どもの悔しい気持ちに共感してあげますか?

たとえば、子どもが部活でやる気をもってがんばっているときは、ほめますね。
では、やる気をなくしてがんばれないときはどうしますか?
まず叱責や小言やアドバイスがきますか?
それとも、まずは、子どもの実状と気持ちを理解し受け入れ許し共感してあげますか?

こういうとき、まず一番に叱責や小言やアドバイスがきてしまう親だと、子どもは自分のことがわかってもらえないと感じて親を信頼できなくなります。
その親がたとえよくほめてくれる親だとしても、子どもは信頼できなくなるのです。
つまり、よくほめてくれる親でも、ほめられない状態のときに共感してくれない親だと信頼できないのです。

ここは、とても大切なことですから、注意深く理解してください。

よくほめてくれる親でも、ほめられない状態のときに共感してくれない親だと、子どもは安心して自分をオープンにすることができません。
たとえば、「テストで0点取っちゃった」「先生に怒られちゃった」「友達とけんかしちゃった」「部活やめたい」などと素直に言うことができないのです。

共感してくれる親なら、すべて素直に言うことができます。

よくほめてくれる親でも、ほめられない状態のときに共感してくれない親だと、子どもはいいところだけ見せようと無理をするようになります。
よくほめてくれる親で、しかもほめられない状態のときには共感してくれる親なら、子どもは無理をする必要がありません。
こういう親なら、ほめすぎの弊害などはないのです。

つまり、共感とセットになっているほめ方が大切なのです。

専門家の中でも、「子どもをほめすぎると、ほめられるために無理にがんばるようになるという弊害が出る」と言うひともいます。
でも、私は、それは共感とセットになっていないからそうなるだけだと思います。
共感とセットになっているほめ方なら、そういう弊害はないと思います。

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